Weeping Gorilla makes Complaints | 泣きゴリラの泣き言

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生きるためには殺さねば…『The Last of Us(ラスト・オブ・アス)』

 

 

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〈ネタバレはしないように心がけていますが、多少は含むかもしれません〉 

 

 

家に籠って時間を潰す生活に背中を押され、長いこと「やらなきゃな〜…」と思っていたゲームにやっと手を付け始めた。

その一本目に選んだのが『The Last of Us(ラスト・オブ・アス)』

 

 

『ラスト・オブ・アス』は2013年にPS3のソフトとして発売された。

そもそもこのソフトを意識し始めたのは2013年当時のこと。もちろん、評判は良かったし名前くらいは知ってたけれど、そもそも中学生だった自分はPS3持ってなかったからやろうにも出来ない。しかも「あんまり怖いゲームやりたくねーなー」と思ってたから、対岸ではそういうもんが流行ってるらしい程度の認識だった。

しかし、その年の年末。各々がその年のベスト10を挙げるという映画好きという生き物の習性を眺めていると、なぜかこの『ラスト・オブ・アス』の名前が頻発し始めた。ゲームなのに、なぜ映画のランキングに…?それ以上に対岸の祭りだと思っていたものが、こっち岸の祭りだったと気づいたことに大ショック。なぜ俺はその祭りに入っていかなかったんだ…。

 

そこから月日は流れ、あっという間に7年。「やらなきゃ、やらなきゃ」と思ってやらないまま、2020年。今年の5月に『PART2』が発売らしいし(発売は延期になって日にちは未定)、世間も俺に家でゲームしてろと言ってるからやり始めたら…

「あ、これは、想像してた以上にすごいやつだ」

すぐさま襟を正した

 

まず大前提としてゾンビもの。

ウイルス性のゾンビが大量発生し、世界中が壊滅的打撃を被った世界が舞台。主人公となるジョエルはそのパニックの最中、最愛の一人娘を失ってしまう(それも人の手によって…)それから15年以上の月日が経ち、人々は隔離地域を作りなんとか一日一日を生き抜いていた。そしてジョエルは政府の目を掻い潜る、運び屋になっていた。

ある日、反政府組織“ファイアフライ”のリーダー、マーリーンの依頼を受ける。それはエリーという14歳の少女の護送だった。彼女はゾンビに噛まれても感染しない。彼女が特効薬の鍵かもしれない。そうして、ジョエルはエリーを連れて外界へと踏み出す。

 

基本的にゲームはオープンワールドしかしない身からすると、久しぶりに決められた道を進んでいくタイプのゲーム。チャプターごとにジョエルかエリーのどちらか片方を操ってゲームは進んでいく。途中で菌類に覆われたようなゾンビたちに襲われたり、物資狙いの盗賊たちを撃退したりしなければいけない。

物資に関してはかなりシビア。大抵の場合「残りの弾の数と敵の数が合いません!」というあぶない刑事状態に陥る。そのため弓矢や鈍器に頼るケースが増えてくるが、ゾンビの3体に1体くらいは一撃で死に至るタイプの奴なので接近戦は賭けだ。しかも鈍器は4回くらい殴ると破損する。だからエイム下手な自分は何度もトライアンドエラーを繰り返して、なんとか突破という感じだった。多分、死にゲー?俺が下手なだけ?

 

しかし、その短さには驚いた。ノーマルで結構時間をかけて2時間くらいずつちょこちょこと進めてたが、5日くらいでストーリーはクリアできてしまった。上手い人なら1、2日で全然クリアできると思う。いつもやってるオープンワールドだと、途中でサブクエストに寄り道なんかしてると50時間くらいやってまだメインストーリー終わってないなんてこともよくある。そう考えると、ちょっと物足りないくらいに短いな…

ただボリューム感に物足りない代わりに、その濃密さは尋常ではない。

 

とにもかくにもストーリーがとんでもなくよく出来てる!映画のランキングにランクインしてくるのも納得なほど、ゾンビものの王道を行きながら、そこを超えていく。

前述のあらすじから分かるように、前半はかなり堅実なゾンビものとして大事なポイントを一つずつ抑えていく。そして亡くした娘の傷を抱えながらも、エリーと少しずつ疑似家族となっていくジョエル。ちょっとベタすぎるかな?と思うくらいにお約束を一つずつクリアしていく。それは同時にこの世界がいかに優しくないかをまざまざと見せていくことにもなる。さっきまで普通に話していた人が、あっという間に人ならざる者になってしまう残酷さ・理不尽さを堅実に積み重ねられていく。

 

四季が大きな一つのチャプターとなり物語は進む。それに連れて少しずつゾンビものの基本からは外れ始めていく。風景の四季の移り変わりが美しく、その中で成長していくエリーの姿が嬉しくも辛い。その成長は頼もしくもあるが、普通の女の子でいてくれてよかったんんだよ…という想いも…そうならざるを得ない世界ってのも分かるけどさ…

ついでにDLCの『Left Behind』はエリーがゾンビに噛まれるまでの過程と、一人の戦士になった後の姿を交互に見せてくれて、さらにその気持ちを刺激してくるのでオススメ

 

そして二人の旅が終盤に向かい始めたところで、二人がある動物たちと出会うというシーンが訪れる。このシーンの、なんと美しいこと!現実から浮遊した夢のようなシーンなのだが、そこに至るまでのキャラクターの演出含め、なにもかもが美しく、感動的!

個人的にはその動物も合わせて『ジュラシック・パーク』のとあるシーンを連想した(やった人なら分かると思う)そういえば、あの映画も心を閉ざした男と子供達が疑似家族になる話だな。そして、あのシーンが決定的にその絆を深めるシーンだったな…

 

しかし、旅は終わりへと向かってしまう。

最後に負わされる決断の重いこと。ゾンビものではよくあるシチュエーションではあるのだが、それまでの二人の関係の積み重ねも相まって今まで経験したことないほど切実な感情として胸に迫る。

世界は残酷だという事実は序盤から何度も何度も描かれてきた。その世界で生きるうちにキャラクターもプレイヤーも「殺さなければ自分がやられる」「生きるためには殺さなきゃならない」という鉄則を学ばされる。そう学ぶように仕向けられている。物語としても、ゲームのシステムとしても。前述の物資のシビアさや敵の強さもそれを思い知るためだろう。

このゲームでは温情をかける暇があったら最後、死が待っている。プレイヤーはそれを免罪符としてゾンビだろうと人間だろうとシステマティックに殺し、それに享楽を覚えた。

「その鉄則は正しいのか?正しいと思うなら、生きるために殺してみろよ」

旅の終着点で、このゲームはその原罪を課す。

点滅するEXITの看板。そこに必死に走っても出口はない。

この気持ちをどうすればいいんだ…

 

最後に迎えるラストシーンは切れ味がいいと言えばいいのか、梯子を外されたようなと言えばいいのか。そこだけを誰かに見せても何てことのないシーンと思われるだろうが、全てをプレイした人間の頭にはこべりついて剥がれない。「The Last of Us = 私たちの最期」のタイトルがここに来て何重にも意味を持って押し寄せ、ジワリジワリと後から効いてくる。この純文学を読んだ後のような胸騒ぎはどうすればいいんだ…

 

正統ゾンビものとして折り紙つきなのは勿論だが、生きるとは?死ぬとは?さらには、楽しむために殺すということ、言わばゲームの本質のようなところまで思いが至る。考えれば考えるほど深みにハマっていく問いをこちらに課してくる。はっきりとただの面白いゲームなどという次元を超えていた…天晴れ!素晴らしいとしか言いようがないです

 

『PART2』は発売延期になてしまったけれど、あのラストシーンから5年の月日が経っているとのこと。あの後の二人の関係がどうなっているのか…。また、新しい話を始める以上、あの完璧で開かれたエンディングに一つの解答を出さなければいけないだろう点が不安ではあるが、もう正座で待つしかないんだ。早く売ってくれ!頼む!

 

 

 

 

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