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DAGON ダゴン|クトゥルー"映像化"としてど真ん中にして生真面目

 

昨年末頃から定期的にお友達衆と集まって、ボードゲーム会を催している。初級者向けのものから少しずつレベルを上げていき、慣れてきはじめたところでTRPGにも触れさせてもらった。楽しかったのでこれからも色々とやっていきたい。

 

だが本格的にTRPGをやっていくとなると、基礎教養としてクトゥルー知識はやっぱり持っといた方がいい。英米文学を読み解く上でシェイクスピアは読んどいた方がいいように、和洋問わず現代の創作物を読み解く上でクトゥルーは外せなくなってきている。数十年後にはスター・ウォーズスター・トレック指輪物語あたりと並べて大学で大真面目に教えている可能性もないとは言えない。

 

そんな経緯で最近、教養としてのクトゥルーを勉強中。

全集はちょっとばかし気が重いので、新潮から「クトゥルー神話傑作選」と銘打たれて発刊されているもので触れている。現段階で『インスマスの影』と『狂気の山脈にて』の二巻が刊行されているが、ゆくゆくはラヴクラフト以外のクトゥルー神話作品も集めて出してくれないかな〜、なんてことも素人目にも思っている。

(新潮版から入ったので表記は「クトゥルー」とさせてもらってます)

 

そういう状態なもんで、日頃よりクトゥルー・アンテナが過敏になっているところで、新文芸坐で一夜限り『DAGON』という映画を上映するという噂話を聞きつけた。ラヴクラフト的見地から言えば、こういう見聞に首を突っ込むとロクなことにはならないのだが、人間の未知に対する好奇心には歯止めが効かないのだ。

 

DAGON ダゴン

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今やクトゥルーの影響下にあるものなんて世界中に溢れてしまっている。それは映画界にも例外なく、むしろ一番容易くクトゥルー的なるものを見つけられるメディアかもしれない。

ギレルモ・デル・トロの諸作品にはクトゥルー的なモチーフが頻出するし、リドリー・スコットの『プロメテウス』は『狂気の山脈より』を下敷きとして作ったと聞いた(それでデルトロが『狂気の山脈より』映画化企画を引っ込めたけど、また動き出してるらしい)

あと最近では配信スルーになってしまった『アンダーウォーター』って作品がすごくクトゥルーらしい。見なきゃな。

日本でも宮崎駿、特に『もののけ姫』はデザイン含めてかなりクトゥルーっぽいし、和製クトゥルーといえば『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズの白石晃士監督も忘れてはならない。

 

だが、その中でラヴクラフトの原作をど正面から正統に映像化した作品を考えると、その数は思いの外少ない。

去年になってやっと『異次元の色彩』を映画化した『カラー・アウト・オブ・スペース 遭遇』が出てきたくらいじゃないか?ただ、あれも原作に忠実ではあるが、『マンディ』以降流行り(?)の「極彩ネオンカラー+怪演ニコラス・ケイジ映画」の系譜でもあるので実際に感じるラブクラフト純度はそこまで高くない。話題になっているHBOの『ラヴクラフト・カントリー』も、これまた未見で恐縮だが黒人青年の視点からクトゥルー世界と差別主義者としてのラヴクラフトの側面を織り交ぜた物語になってるという時点でかなり複雑なメタ構造だ。

実はラブクラフト作品の映像化ってほとんどないのだ。

 

やっと本題に入るのだが、2001年の作品である『DAGON』はその数少ないサンプルといえる。その再現度は生真面目と言っていいくらいだ。

ストーリーはラブクラフトの『インスマスの影』を原作にとり、町を訪れた主人公が魚っぽい人間たちに追いかけられ、「ダゴン神秘教会」を中心とした町の暗黒史を知ってしまうというもの。時代設定を現代に移し、映画向きに展開を変えたりはしているものの、基本的には原作に忠実だ。さらに原作ではそこまでは見せなかった邪神の存在感を強調する。『インスマスの影』自体は半魚人たちが闊歩するのみなので、そこにタコ足などのクトゥルーっぽいものも登場させられる作りになっている。

 

ビジュアル面で言えば、これぞクトゥルーというイメージを次々と見せられる。閉塞感溢れる漁村のロケーションに全体を覆う雨と闇夜。その中を歩き回る人間らしきものたちから、ちらちらと見えるエラや水かき。そして満を辞して画面に現れるタコ足!

間違いなくキービジュアルとなっている、マカレナ・ゴメス演じるウシアは完璧。印象的な大きな目は一度の瞬きもせず、タコ足なのにその美しさに惹きつけられる。『レジェンド 光と闇の伝説』のミア・サラとかが大好きな身からすれば好きにならずにはいられない。その姿だけで異世界を感じさせる美しさだ。もちろんクライマックスには「邪神」も姿を見せるが、その姿をどれだけ見せるかの配分もわかっている人の仕事だったと思う。

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この下半身は期待を裏切らない美(タコ)脚

 

前半2/3は『インスマスの影』に沿い、残り1/3は低予算ホラーとしての職務を全うし始める。ここで特殊メイクに労力を割いたであろう「皮剥ぎ」のシーンもサービス的に入れている。自分としてはあってもなくても、くらいにテンションなのだが「ゴールデン・カムイ実写化するとこんな感じになるのかな〜これじゃ無理だろうな〜」とか思いながら見ていた。ホラー演出的にはこのショックシーンを前半に持ってくれば、もうちっと全体にホラーとしての緊張感が出たんじゃないかとかも思うのだが、そもそもそういうホラー的な緊張感もいらない気もする。

 

そんなこんなでクトゥルー映像化作品としては稀有な例には違いない。

その点で間違いなく価値はあるのだが、映画として出来がいいかと聞かれるとそういうわけではないので要注意。

主人公の尋常ではない華のなさはどうにかならないものか。パッとしないメガネ男があたふたして、たまにメガネを落とす様子は言うまでもなく画としては映えない。終盤、少し主人公がアッシュ化しかけるのだが、その予感だけで終わってしまう。かといって片腕にチェーンソー装着して魚人間たちをシーチキンにして回っても、なんの映画なのかわからなくなってしまうだろうけど。

物語が終盤に差し掛かっても、どうにも詰んでるようにしか見えないって部分は他の映画ならアウトだろうけど、それがまたクトゥルーっぽいので全然あり。というより原作からしてそうだから。

それよりも酷いのはカメラワークなんかの初歩的な部分。ロケ撮影でカメラを思うような場所に置けなかったのか、手持ち撮影がかなり多い。それが上手くいってれば全然いいのだが、常に節操なく動き回るカメラは鬱陶しいし、構図など画として見せるカットが少ない。こういうの見てると決して巧い映画などとは言えない。

 

また原作を映画化するにあたっての変更で気になるところもある。

原作は題名の通り「インスマス」というニューイングランド州にあるとされる架空の町を舞台にしているが、『DAGON』ではスペインのとある町と設定が変えられている。ホラー映画としては、むしろ全く知らない土地の方が定番なのだが、この「アメリカの田舎町の話」という要素を軽く外してしまってよかったのだろうか。

インスマスの影』は『ラヴクラフト・カントリー』でお題目に挙げられているようなラヴクラフトの他人種や異教徒に対する嫌悪感がはっきりと刻印された作品である。その原作が孕んでいるそもそもの問題は一旦置いておくとして、その嫌悪感や内向きに閉塞しきった田舎町という舞台設定は作品の本質と直結してもいる。そこを外したという点で、真に“ラヴクラフトの”物語を映画化したと言えるのだろうか。

 

ラヴクラフトが創造したクトゥルー世界の「映像化」として間違いなく価値があり、その点では現状ベストな一本と言ってもいいかもしれない。ただ、ラヴクラフトの「映画化」としては言いたいことが残る作品でもあった。

 

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